読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

こういうシチュエーション知りませんか

こういうシチュエーションが好きです。

※脈絡なくネタバレが出てくる可能性があるので、そういうの平気な人だけ読んでください。

 

 

・現在時系列の物語で、一瞬未来の自分が登場する

例:「第七女子会彷徨」「アリスと蔵六

 

・ラストシーンにこれまでの登場人物がずらーっと出てくる

例:「ビッグフィッシュ」「ベンジャミン・バトン」「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

 

 

随時追加します。

うまるちゃんの切ないバックグラウンド考察

うまるちゃん、基本はかわいく楽しい日常系なんですが、バックグラウンドの存在により全てのシーンすべてが、なんか切ないかんじがします。

 

とりあえず原作ではなくアニメ1期のみからの考察です。

 

バックグランドになりそうな要素をとりあえず並べます。基本はたまに出てくる回想シーンから。

・うまるとタイヘイはおそらく10才差(タイヘイは10年前高校生→現在25〜27才。うまるは高校生)

・うまるはピアノができたり金持ちマナーは習得していたり、ハイソな教養がある

・うまるは勉強ができる。タイヘイもできる。うまるはタイヘイに勉強を教わることがある

・うまるとタイヘイは以前はいいマンションに住んでた

・そのマンションではうまるは基本ひとりで放置されて遊んでいた

・二人の苗字は土間で、同名の土間コーポレーションという大企業がある

・二人のお母さんは、タイヘイのことをタイヘイくんと呼ぶ。タイヘイをお母さんと呼ぶ。

・お母さんはうまると瓜二つ

・タイヘイにうまる母の記憶はほとんどない

・うまるの干妹的な素養はタイヘイと暮らすようになってからで、来た当初はおとなしい女の子

・うまるとタイヘイはあまり似ていない

・タイヘイのうまるへの甘さは異常

 

 

この辺の情報から、下記の推測が立ちます

 

・土間家は土間コーポレーションの創業家系。幼少期の裕福な描写から。また、うまるとタイヘイの地頭のよさ、能力の高さは血統によるもの。

・うまるとタイヘイは腹違い。うまる母の「タイヘイくん」呼びから。

・土間父の妻1の子供がタイヘイで、妻2の子供がうまる

・タイヘイの回想に出てきたお母さんは妻2

・タイヘイが幼少時に妻2は何らかの理由でいなくなった。(記憶のうすさから)

・土間父、タイヘイ、うまるで暮らしていた時期がある。土間父は仕事が忙しいので家にはあまりいなかった

・タイヘイが大学もしくは社会人になった時点から一人暮らしの時期があるので、土間父とうまるの二人暮らしの時期もあった。

・現状のタイヘイうまるには親からの生活支援はない。アパートぐらしの描写から。

 

 

さらに深めると、以下の様な切ないバックグラウンドが想像されます。

 

・うまる母はうまるが生まれた直後に失踪もしくは死亡。おそらく出産と同時に死亡。(タイヘイの記憶のうすさとうまるタイヘイの年齢差を両立させるには、10才はギリギリのため)

・土間父については2案。1案は、タイヘイを勘当したというもの。経済的な孤立から。2案目は、会社から追い出された末の死亡。普通に死んだだけなら遺産でもうすこし二人に裕福な暮らしができるはずなので。

 

 

日常系ではこういうバックグラウンドを描くかどうかは大きな分岐で、みなみけよつばとは描かない手法、琴浦さんは描く手法といえます。

 

 

どうなんでしょうね。

どうあれ楽しめるよいアニメなので、二期が楽しみです。

 

 

 

 

ゆゆ式の宇宙

皆さんご存知ゆゆ式


「ゆゆ式」OP せーのっ!(オープニングテーマ)

 

3人女子をあつめると宇宙が生まれるので基本的によいのですが、ゆゆ式のよさは、3人の一種の緊張関係です。

 

3人の関係はざっくりいうと

・唯と縁は幼なじみ

・柚子は中学からの友達

 

ただただ仲良しな3人とも見えるのですが、幼なじみの二人を柚子が微妙に嫉妬したり、縁と柚子のノリに唯がついていけないといった描写などなど諸々の要素から、3人のつながり方を以下のように言えると思っています。

 

・柚子はおもしろいから2人に存在を認められている

・唯と縁は互いに家族のような存在

 

難しい言葉にすると以下のようにいえます。

・柚子は能力主義の象徴

・唯と縁は愛の象徴

 

唯と縁はお互いに何かを交換することをしなくともお互いを認め合い、一緒にいることができます。無条件なつながりです。

柚子はそのおもしろさを提供することで存在を認めらています。おもしろさと、二人と一緒にいる権利を交換しているわけです。

アニメからも読み取れるように唯と縁の絆は深いです。ここは縁も安心しており、元来の性格はもちろんなのですが、唯の存在により常にぽわ〜っとマイペースでいられます。

この深い絆に混ざる(ただ一緒にいるのではなく、2人に違和感をもたれず、一緒にいたいと思わせるレベルで交わる)には、生半可だとはじかれるでしょう。柚子はその点、めっちゃうまくやっていますし、二人からいやがられることはありません。

ただし、柚子はおもしろくなくなったり、なんか違うな、となった瞬間存在価値がなくります。

 

ここにうまれる一種の緊張感が、ゆゆ式の魅力です。

会話にネタ的な要素を含むのは、柚子が存在を認められ続けるために提供しているおもしろさなので、そう見るとただのネタ会話とは違った見え方ができます。

 

柚子は勉強ができる=地頭がよい、頭の回転が速いキャラにしているのは納得感があっていいですね。

 

書いてみるとなんでもないことなんですが、なんかすっきりしました。

柚子がんばれ!

 

表現規制はやっぱり気持ち悪い

表現規制の理由って

・犯罪者が増える

・見たくない

・子供に悪影響あたえるな

とかだろうか。

 

韓国では表現規制で逮捕者とかでてるらしい。

でも性犯罪は減ってないらしい。つまり因果関係はないと決まった。

じゃあなんで表現規制するか。理由が無くなる気がする。

 

そもそも、犯罪を抑止する目的で人を逮捕するのは変だ。

指紋とるとか危険リストにいれるとかならまだいい。抑止になりそう。

でもそれなら、泥棒になりそうな年収の低いひと全員指紋とるとかもしろよ。ってなる。

 

児童ポルノで無自覚にエロの対象にされる子供がいるのはよくないので、逮捕されても文句いえないかんじあるので別問題。判断力のない状態につけいるのは卑怯だ。

じゃあ二次元はどうか。判断力の低い人につけいるのはどうか。

 

公衆の面前でちんちんだすと逮捕される。これはなんかわかる。

見たくないものを見せられるのはいやだから。

エロやグロの作品は、公衆じゃないかどうか。テレビで流れるのはどうなのか。

テレビって公衆か?

そういうのも流すかもっていうテレビ局と流さない局があれば選択的だからいいんじゃないか。

 

見たくないって主観だ。そういう人が多いから犯罪になる。

多数決。大体の人はいきなりちんちん見せられるのはいやだから犯罪。

乳首は見たいけど、逆に犯罪。なんだよ逆にって。

家にいて選挙カーの音が聞こえるのがきらいだけど、あれも犯罪にならないのかな。

 

 

人間は寝てる、エロイこと考える、お腹空いてる、お腹満たされてうれしい、なんかさみしい、仕事とかつらい、他人に嫉妬する、友達といてたのしい、だるい、映画とかアニメとか小説とかマンガとかゲームとかたのしい、移動中ぼーっとしてる、とかそれくらいかなあ。

エロイことは強いので、人間を誇張なく描くとエロは絶対必要になる。

 

人間のどうしようもなく沸き起こってしまう感情、動物の本能を利用するのはなんか卑怯なかんじがする。走ってる人の前に罠をはるみたいなもんだから。

たとえば胸の谷間をみせて男を誘惑する女はどうか。卑怯だ。犯罪とかではなく人間として。レイプする人は、力で押し倒す。これも卑怯だ。

このへんは能力至上主義なのかなぼくは。

 

こういうのを考えていたら、何もかもがいとおしくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

fhánaと藍井エイルとボーカロイド

fhánaと藍井エイル

アニメ主題歌をよく歌ってる中で、ぼくが本当に優れているなあと思うアーティストです。

 

 


fhana「星屑のインターリュード」 (TVアニメ『天体のメソッド』ED主題歌) MUSIC VIDEO

 

藍井エイル「シリウス」LIVE

 

なんで彼女たちが主題歌に選ばれ、聞いている僕達もぐっとくるのか考えてみました。

登場人物でない人が歌うアニソンのボーカルについて書きます。

 

テーマ曲にぴったりな歌声とは

結論からいうと、下記の2つのバランスが絶妙であることが選ばれている理由です。

・覚えられる個性やインパクトがある

・物語や登場人物の感情を移入できる

 

アニソンだろうがなんだろうが、歌の魅力がなければゴミです。歌やアニメが羽ばたいていくには、よい曲とそれを最大限魅力的に表現されている必要があります。

声が魅力的で覚えられるためには、個性やインパクトが必要です。

特徴のない声では、大事な歌を聞き手に覚えてもらえないかもしれません。

歌手で言えば、椎名林檎平井堅福山雅治ミスチル、サザン、などなど、彼らの声は声を聞いただけでだれだかわかります。

その辺のインディーズバンドのボーカルとかは、声だけ聞いてもこの人だ!となる強さがありません。むしろ音楽のヒットに関して言えば、歌のうまさよりも、だれが聞いてもわかる個性のほうが大事だと思います。

 

アニソンの条件は、曲とアニメもしくは登場人物がリンクすることだと思います。

アーティスト性がアニメそのものとガッツリはまれば攻撃力がでますが、基本はアニメ側が重要であり、アニソンはそれに従属する必要があります。

その場合にアニソンボーカルに求められるのは、ある種の透明感、移入させる力です。

「声は違えど、この歌声をきくとアニメが思い出される」「この歌声がアニメのメッセージもしくは登場人物の声を代弁している」と感じさせることが必要です。

曲を聞くとアニメ全てが脳内をかき回してテンションがあがるような力が必要です。

 

ここで個別に2つのアーティストをほめます。

 

・fhána

彼女の声は、ものすごく強い特徴があるわけではないのに、歌い方のクセや声の出し方なのか、声を聞くとだれだかわかる力があります。

特に高域にちょっとだけ棘というかエッジが効いていつつ、中域にやわらかさがあり、ぱっと聞いてかわいいかんじもします。

歌の表現も、豊かでありつつも、押し付けるような歌い方をしません。平易に言うと「私を見て!私の声を聞いて!」っていうかんじがしません。

この声や歌い方の特徴から、登場人物のかわいらしさ、いとおしさを含みながら、切実さ、強さなどいろんな感情を読み取る余地がでています。

 

藍井エイル

彼女はぱっときいて強い声、ロックボーカルにぴったりな歌唱です。

その叫ぶような声に、強さだけではない、切なさなどのいろんな感情がこもっているようにも聴こえます。

こうした強いボーカルは多くて、上手い人もいくらでもいますが、強くうたっているのに真逆の感情も聞こえてくるような声が彼女の個性になっており、声そのものもおぼえられるだけの個性があります。

このいろんな感情を受け入れる声が、登場人物そのものだけでなく、物語の進行やドラマチックさも代表しているような度量を生み出しています。

 

あえていうなら、ふたりともいろんな感情がこもったドラマチックな声になっているため、日常系のアニメとかにははまりづらいかもしれません。

日常系は登場人物が歌うことも多いので、オファー自体もされないことが多いかもしれません。

 

ここまでが、アニソン代表アーティスト2組についての、なぜ選ばれ続けるかのぼくの考えです。

 

アニメの中の歌 劇伴ボーカル曲

ちょっと考えをすすめて、「物語や登場人物の感情を移入できる」だけをつきつめるとどうなるか?を考えてみます。

究極的には、特長のない声が正解になります。たとえば血界戦線で使われてたボーカル曲とか、歌が上手いジャズ・ボーカルなら大体成り立ちます。

澤野さんが使うボーカル曲も、「なんか聞いたことある感じの洋楽ボーカル」みたいな、なんていうか強い個性はありません。だからこそ音楽や、歌モノが入った高揚感だけを出して、物語を邪魔せずに劇伴としても使えるわけです。

この辺はテーマ曲なのか、劇伴なのかの違いもありますが。劇伴だとさきほどの個性より透明感のほうが重要になるわけです。声の個性とか邪魔なので。


甲鉄城のカバネリ 無名戦闘シーンBGM

 

 

次の可能性 ボーカロイド

fhánaや藍井エイルは、アニメテーマボーカルとしてひとつの正解です。

じゃあ今後も同じようなちょうどいい声の人たちがアニソンを歌い続けていくのかというと、今後はボーカロイドがアニソンテーマを歌う日がくるのではと思っています。

 

初音ミク巡音ルカもIAも、電子的であることも含めてパッときいて分かる個性があります。(ミク>ルカ>IA の順番で個性があるような気がします。)

しかし今はボーカロイドのサウンドそのものが新鮮すぎて、物語よりそっちに耳がもってかれしまうのが現在の状況です。ただこれも時がすぎれば、対して珍しくないものになると思われます。

そうなると、個性と透明感のバランスのとれたボーカロイドがアニメテーマを歌う日がきっときます。

 

次はボーカロイド、という根拠のひとつは、カゲプロ(カゲロウプロジェクト)です。


【VOCALOID IA】想像フォレスト【オリジナルPV】

なんでカゲプロがあんなに流行ったのか、もちろん物語や曲の良さにもありますが、ボーカロイドであることは必須項目だったと思います。

さらに、人造エネミー以外はIAという個性を減らしたボーカロイドを使っているのも、じんさんの狙いが見えてきます。

物語の歌い手を、フラットな声を使うことで、物語や登場人物の感情、さらに聞き手の感情を受け入れる広さをもたせることに成功しています。

ボーカロイドは物語と親和性が高いんです。

 

ということで、今後どんなアニソンがきけるか楽しみですね!

ではまた!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆるゆりアニメの考察っていうか妄想

ゆるゆりアニメの設定に関する考察です。

この考察を正しいとすると、いろんな点が納得が行くので共有したくて書きました。

ひとまず原作は未読なので、対象からははずしています。

 

ひとことでいうと、ゆるゆりアニメはアニメの世界の中で撮影された実写ドラマである、というのがぼくの考察です。

 

詳しく言うと、以下の様な構造です。

・アニメ内の世界には、あかりをはじめとした登場人物は存在している。

・彼女たちはカメラが回っている間、ゆるゆりという作品をつくるために演技をしている。

・アニメ内の世界に存在する撮影スタッフが撮影、編集、VFXをほどこして作品としている。

 

伝わりますかね?

ぼくらが見ているごらく部の掛け合い中、同じ空間内にスタッフさんもいるんです。

脚本もあって、事前に絵コンテとかも切られて、編集、ポスプロを経て作品として完成させているわけです。

 

これを元に考えると何もかも説明できるんですよ!!

 

例えば以下。

・タイトルコール「ゆるゆりはじまるよー」

・タイトルコールでのカメラさんとのやりとり(この考察の根拠としてもっとも強いです。あかりがスタッフの存在を認めているので。)

・主題歌、キャラソンを歌うごらく部

・ロボット、爆発、タイムスリップ、透明化などの現実にありえないこと

サザエさん時空(1年たっても学年がかわらない設定)

・メタ発言

 

 

上記以外も、すべて説明できます。アニメの世界が物理法則にのっとっていることを認めながら、アニメ的な描写をすべて是とできるんです。

 

ふつうは登場人物にOP歌わせてたら、「いつ歌ってんだよ!」ってなるじゃないですか。そこは無視してるじゃないですか、ふつうのアニメは。無視しなくていいんですよ!だって実写ドラマですから!カメラが回ってないところでレコーディングしたってOKなんですよ!

 

さらに踏み込んで推測すると、以下のような現場なのではと思います。

・脚本はあるが、役者(あかりたち)にアドリブをガンガンいれるように指示がある。

・全員本名で出演している。

・キャラを誇張したりしてはいるが、本人の性格をかなり踏襲した役を与えられている。(タイトルコールでいじられてつっこんでいるあかりは素のあかりだが、口調やノリはカメラが回っている間とあまり変わっていない。)

・さすがに現実に同じような関係性ではなく、オーディションなどで選ばれた子たち。

・姉妹役は「姉妹で出演」という募集になっており、アニメ内世界でも姉妹。

・百合的な恋愛ベクトルは脚本によるもの。

 

ちょっと違いますが、山田孝之東京都北区赤羽のようなモキュメンタリーに近いものがあります。

アニメ内スタッフである監督はできるだけ役者と役が乖離しないような演出をつける方なんでしょう。

 

さらにさらに個別の推測ですが、

・幼少時の描写があることから、役者の募集は幼少時になされており、幼少期シーズンも存在した可能性が。ぼくたち現実世界の人間にお披露目されているのが中学生シーズンのみなのかも。もしくは、6才のボクが、大人になるまで。のような労力のかかった作品の可能性もあります。

・幼少時には主役として受かったあかりが、成長するに連れてキャラがたたなくなってきたため、やむを得ずスタッフが「主役をいじる」という形でエンタメにしようとしているのでは。

・「本人は本名」の原則からははずれるが、向日葵と櫻子は、本名や家庭環境は逆なのでは。向日葵が櫻子で、家は普通に裕福。これは撮影スタッフの遊びで現実と入れ替えがされているか、3姉妹を募集したら使えそうなのが櫻子(本名は向日葵)姉妹しか募集にこなかったため、しかたなく設定・役名を入れ替えたのかも。

・ごめんなさい、さっき本人に性格を準じると書きましたが、京子は現実ではめっちゃおとなしいけど、カメラの前でははっちゃけられる憑依型の役者さんなのかもしれません。能年玲奈ちゃん的な。

 

などなど、とにかく夢が広がります。

 

カメラの存在を肯定することで、「本当に普通の女の子として存在するあかり達」を肯定できるんですよ!!!

めっちゃ胸が熱くなるじゃないですか!!!さらにキャラクターたちが愛しくなりませんか!!!????

なりませんか!???いや!熱くなれよ!!!愛しくなれよ!!!

動画工房や太田監督が作ってるのは、ゆるゆりという作品ではなく、ゆるゆりという作品が生まれたアニメ内世界すべて、ということになるわけですよ!!

すごいもんつくってんな!!おいおい!

 

最後にさらにさらにさらにの推測ですが

 

・百合設定に関しては脚本だが、撮影スタッフは脚本に影響されて本気で好きになっちゃったりすることも期待している。その本気の瞬間をカメラに収めたくてしょうがない。

 

っていうか

 

・「中学生女子をドラマのために集めて百合設定を演じさせたら、本当に百合恋愛がうまれるのか!?」というドキュメンタリー企画

 

という可能性を示唆して、この妄想を終了させていただきます。

ちょっと文章にまとまりがないので、この説を肯定してくださる方で、もっとわかりやすく書いていただける方がいるといいなと思います。